占い師のフィルターを通した解釈





占い師が百人いれば、百通りの占いがある

西洋占星術にしても四柱推命にしても、共通する基本の概念はあるものの、
占い師や研究者によって、その解釈はいかようにも変わって行きます。
その時々の時代背景によっても変わります。
「人を押しのけてでも成功するパワーがあるか否か」
にしか着目しない占い師なら、そういう占いしかしない、
そのようなパワーのない人が他にどんなに良い運や才能を持っていても、全て凶運と断じるでしょう。
女性を占う時、「地位や経済力のある男性と結婚できるか否か」にしか着目しない占い師も、
そういう占いしか出来ません。そのような運を持たない女性を全て不運と言うでしょう。

霊感や直観に依らない理論的な占いでも、このように占い師自身の価値観によって
フィルターがかかっている場合が多いのです。直観を用いるタロットや易であれば、なおの事です。
よく専門書では、「バイアスがかかる」という呼び方をします。
 ※バイアス= 考え方などが何かの影響を受けてかたよる事
占われる側のみなさんは、その点に注意する必要があります。
また、占いを勉強する人間も、その教則本を書いた著者が、
どのような価値観人生観に基づいて書いてるのかをまず見極める必要があります。
言い換えるなら、占い師や占い本の著者がどのような価値観人生観を持っているかを見極めれば、
何を言われても恐くはありません。


占い結果と自分の直感が食い違ったら

いわゆる占い結果(占い師や占い本の解釈)は、あくまでその占い師自身の価値観に基づいた
解釈の一つに過ぎません。どんなに偉い先生が言ったものであっても、です。
人から言われた、または本に書いてあった占い結果と、自分の直感が食い違う時、
私はいつも、「自分の直感の方を大事にしなさい」と言っています。

人間は誰もが、ワガママにも自己否定にも偏らない高次元の直感力を持っているのだと思います。
ワガママな考えが強い人や、反対に自分を卑下する気持ちが強い人の場合、
その直感が鈍っている事はありますが、それでも、これからいくらでも磨いていく事が出来ます。
どんなに悪い事厳しい事を言われても、それがその人にとって当たっているならば、
「耳が痛いけど、何か納得できる」という感覚を持てるでしょう。
反対に、その「納得感」がない占い結果は、外れている事が多いのです。
また、どんなに良い事を言われても、それがその人にとって外れているなら、
心のどこかで「何か違う」という感覚を持つ事でしょう。

そして、その直感の方に基づいて占いを研究して行くと、
実はそっちの方が、占いの基本概念により忠実な真理だったりします。
私の場合はそうやって、教則本とは違う解釈=より基本概念に忠実な解釈 を見つけて行きました。
ちなみに、ある占いで悪い結果が出ても、
別の占いの新しい手法で占ってみると良い結果が出る事もよくあります。


過去の占いを打破して行く

昔、占いは、個人の幸福や可能性を追求するためのものと言うより、
国家や社会や「家」を守るためのものだったと言います。
家の中においては、その家の命運を託すべく、何人かいる子供の中で、
立身出世をしたり財を成したりするパワーの最も強い子供を選ぶために、占いが使われたと言います。
言い換えれば、それ以外の子供は見捨てるまたは踏み台にする、という意味でしょう。
(貧しい中で、飢饉もあるであろう中で、子供を見捨てるという事が
 どういう意味を持つのかは、ご推察下さい。)

また、運勢の弱い者の処世術として、「運勢の強い人間について行く」事が説かれていました。
これがどういう結果をもたらしたか。
運の弱い者は、強い者からどんなに理不尽な扱いを受けても虐待されても、ただ耐える事を教えられた。
周囲の人間も自分の保身のためか、弱い側に対してはひたすら「我慢しろ」「アンタが悪いからだ」と、
片や強い方が何を言ってもやっても容認する、という態度をとり続けた事でしょう。
(現在でも、有名スポーツ選手/芸能人と一般人が離婚や破局をした時の報道のされ方に、
 その名残は色濃く残っています。)
過去も現在も、占い師や占い本の言葉には、そういう姿勢で発せられたものが多いです。

しかし、中国系の多くの占いの根底にある陰陽思想では、
「陽極まりて陰となる」と言われています。
また、西洋占星術でも、木星(発展幸運の星)の本来の意味は、「与える事で与えられる」です。
いくら運勢が強いと言っても、利己的な姿勢をひたすら極めていると、
かえって衰退して行く、または、木星の幸運をもたらす力が去って行く。
これが、本来の占いが持っているメッセージなのです。

このように、「本にはそう書いてあるけど、人道的には間違っている」と思われる占い結果を、
原点に立ち返って検証して行くと、
「理論的にも本当に間違っている」とちゃんと証明出来るものなのです。



結び

どんなに占い師や研究者が、偏りのない中庸な解釈を目指しても、多かれ少なかれ
「自分のかけるフィルター」からは逃れられないのかも知れません。私自身も例外ではないでしょう。
だとしたら、どうせかけるのであれば、
人間的によりまっとうなフィルターをかける方がよっぽどマシです。
同時にそれが、結果としては、占いの原点/本来の解釈に
最も近づいて行ける道でもあるのだと思います。
占いは、それを研究する人間にとって、或いは、占いをしてもらう人間にとって、
自分自身を磨き続けるための優れた手段に成りえるのです。

(2001-10-07)



占いに入る前に
占いとの付き合い方
占いの種類
「吉」と「凶」の概念
・占い師のフィルターを通した解釈

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